
子どものころ、大阪のおばちゃんが教えてくれた、あんなこと、こんなこと。親に叱られて、家の外で意地を張って泣いていると「おばちゃんが一緒に謝ったるから、さ、家へ入ろ」と言ってくれたこと。そして時代の変化とともに、人を育み、人に良かれと思って生きるおばちゃんも絶滅危惧種になってきた気がする。だから、今、大阪のおばちゃんの言葉をいっぱい書いておこう。

あらゆる場所のかわいい新人さん、自分が初めて見つけたと思い込んでいる素敵な人など、 これから成長していくものに対して「私は早くから知っていました」という刻印を押すために、人差し指を舐めてそれで相手を触ったりする。ちょっと汚いが、愛は深い。

みんなで食べ物をシェアしているときに、最後の一個、最後のひとかけらに誰も手をつけられないでいるときに、それを「どうぞあなたがとってください」と勧める言葉。

若い大阪人は自転車を基本的に「チャリ」「チャリンコ」などと言うが、おばちゃんは「ベンツ」とか「ポルシェ」とか盛って言うことがある。しかも絶対に人生で乗ることがない人ほど、この言葉は生きる。

誰かがなんの気なしにおばちゃんのお尻などを触ってしまったとき、それをセクシュアルな空気にしないために発する言葉。

親バカの最上級。我が子可愛さに過保護なふるまいをしてしまった後に照れ隠しに使うことが多い。身内や仲のよい友人の過保護なふるまいを冷やかすときにも使う。

一升瓶の中身は、瓶の口までいっぱいいっぱいに入っているわけではない。ちょっと足りないからフタが閉まり、瓶にはおさまるのだ。人間は完璧ではない。自分も相手も、ちょっと足りない。それを前提に人付き合いしなさい、という意味。