
「新橋二丁目七番地」地べたに座って40年、靴磨きばあちゃんの教え
「私の名前は“幸せな子”。 だからみんなに幸せをあげたい」
新橋の地べたに咲く、大黒さまに似た一輪の花。靴磨き・中村幸子さんの壮絶な半生と教えが一冊に。 ヒット歌謡曲『新橋二丁目七番地』のモデル。 指紋がすれて見えなくなるくらいに働いた。抜歯し、自分を変えてまで雑踏の中で生きる「女の人生」。 強く生きてきた誇りと人生経験から発せられる、その言葉はかけがえのない「教え」となる。
「明日はきっといいことがある。だから大丈夫」
「お客には汚れた靴で恥ずかしい思いをしてもらいたくない」
「働いているから健康で、心に張りがあるのよ」
「八十一歳になっても仕事があるのは幸せなこと」
「靴の汚れは拭けば落ちるけど、汚れた人間の心は拭いてもだめね」
「生きている限り働くこと。八十歳、九十歳だって働ける。うちにいても一円にもならない」
「私たちは地べたに座る石ころだったね」
「お父さんが働かなくたって私が働こう。だから、私は一生懸命に働いてきた」
「今の時代はいとも簡単に命を落とす。あの時代は、死ぬという意味と重みは今の時代とは違うのよ」
「私だって貧乏よ。あなたも何でもいいから働きなさい」
「偉い人、頭のいい人ほど頭が低い。威張る人ほど弱い者いじめをするもの」
「私の名前は幸せな子でしょう。だからみんなが喜んでくれるように幸せをあげたいの」
「死にたい時は歌を歌う。歌があるから私の人生は助かっている」
「年をとっても子どもに食べさせてもらおうとは思わない」
「田舎の親を大切にしなさい。ひとりで大きくなったのではないのだから」
「子どもは、質素に貧しく、そして強く育てなさい」
「親が黙っていても、子どもは親の背中を見ているもの」
「新橋の街って、歌そのものよ。人間の涙と笑いと汗が詰まっている街だね」
「私は八十歳を過ぎて生きていられる。地べたに座れるだけでありがたいことよ」
■目次:
序章 大地震の瞬間
一章 地べたに座る女の生きざま
二章 極限の生活から靴磨きへの挑戦
三章 八十一歳、仕事がある幸せ