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一緒に「知の宇宙」に旅立とう
日々勉強を重ね、知らないことを一つでも知ると、自分がそれまでそのことを知ら
なかったことに気づきます。さらに、世界には、自分が知らないことが実にたくさん
あることを知ります。知らないことは広大な宇宙ほどもある。知らないことがあまり
に多いと、ときに絶望的な気持ちになりますが、少しでも知ることで、「知の宇宙」に
乗り出して行くことができるような気持ちになります。
さあ、ご一緒に宇宙に旅立とうではありませんか。 -
学ぶことに遅いということは絶対にない
学ぶことに遅いということは絶対にないと私は思うのです。
私の父は88歳を過ぎてから急激に体力が衰えて寝たきりになりました。ある日、「岩波書店から『広辞苑』の新しい版が出た。買ってきてくれ」と言われました。寝たきりになっているのに、それでも『広辞苑』を読みたいというのです。これには圧倒される思いがしました。
書店で買って手渡しますと、あの重たい『広辞苑』を枕元に置いて少しずつ読んでいくではありませんか。「ああ、最後の最後まで学ぶ楽しさを知っていたんだなあ」と私は感動を覚えました。
父を思い出すたびに、私もこういう最期でありたいといつも思います。 -
上から押しつけても勉強しない
勉強というと、どうしても上から押しつけて無理矢理やらせるというイメージがつきまといます。「勉強」という漢字は「強いて勉める」ですから、「勉強しなさい」と言われると反発心が先に立って勉強したくなくなるのかもしれません。「学び」という言葉のほうがずっとスマートですが、どういうわけか「学びなさい」とはあまり言わないようですね。
実際には勉強も学びも意味は同じです。どちらにせよ、やはり上から押しつけてやらせるのはよくないやり方です。子どもは何か一つ、「あっ、これはおもしろいな」と思えるものをうまく見つけることができたら、放っておいても自発的に勉強を始めます。 -
情報源を危険にさらし、自己嫌悪に陥る
私は松江警察署に戻ったとき、耳打ちしてくれた捜査員のいる刑事課の部屋に行き、「先ほどはありがとうございました」と周囲にも聞こえる声でお礼を言ったのです。
自分としては、他の誰でもなく、この自分に情報をくれたことへの感謝のつもりだったのですが、これが大失敗でした。彼の署内での立場を悪くしてしまったのではないかと自己嫌悪でしばらく落ち込んでいました。 -
本を読めば読むほどバカになる!?
「読書は、他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない。(略)ほとんどまる一日を多読に費やす勤勉な人間は、しだいに自分でものを考える力を失って行く」(岩波文庫)
これは衝撃的でした。本を読めば読むほどバカになると書いてあります。要するにそういうことですよね。自分でものを考えることができなくなる、と。「ああ、そうか」と思いました。ただひたすら本を読んでいればいいというものじゃないんだ、それでは自分の頭を「他人の思想の運動場」として貸しているだけなんだと気づかされたのです。 -
教養を身につけていくなかで得た喜び
私が教養としての学びを強調するのは、それが私自身の人生を豊かにしてくれたという実感があるからです。もちろん、学んだことが思わぬところで役に立ったという経験も数え切れないほどしてきました。
たとえば、ある観光地に出かけてそれなりに楽しかったけれど、実はその先までもう少し足を延ばしていれば、知る人ぞ知る見どころがあってもっと楽しかったのに、それを知らずに帰ってきてしまったことがあります。非常に惜しいことをしました。
そんなとき、『徒然草』の一節「少しのことにも先達はあらまほしきことなり」をふっと思い出すのです。これは「仁和寺にある法師」の末尾の一文ですね。何かにつけて、自分よりも物事をよく知っている人を頼りにしたほうが、世の中はもっと楽しくなるものだ、という感懐を述べたものです。あの時代からこういうことを考える人がいたんだなあとふっと懐かしくなります。