著者紹介
藤原和博(ふじはら かずひろ)
教育改革実践家
リクルート社フェロー第1号/東京都では義務教育初の民間校長「杉並区立和田中学校」元校長/奈良市初の民間高校長「奈良市立一条高校」前校長/アジア希望の学校基金「Wisdom of Asia for Next Generation(WANG)」代表/東日本大震災復興支援財団・評議員/プラン・インターナショナル・ジャパン元評議員(サポーター歴30年)/大学院「至善館」客員教授/腕時計「japan」「arita」シリーズ・プロデューサー/奈良発のかき氷製造機「himuro」アソシエイト・プロデューサー/講演1400回超の人気プロ講師/累積80冊143万部の著述家/電話級アマチュア無線技士/テニスプレーヤー/ヘルパ?2級・海外50カ所の介護施設を視察/元ロンドン大学ビジネススクール客員研究員・パリ駐在/長野県の天然記念物・川上犬の飼い主
1955年生/世田谷区立多聞小学校/世田谷区立富士中学校/東京都立青山高校/東京大学経済学部を経てリクルートに入社。40歳で退職してインデペンデントに。
小学校低学年は巨人の全盛期で長島に憧れる野球少年、9歳で東京オリンピック、高学年では釜本に憧れてサッカー少年に転じるも、中学にサッカー部が無く剣道部に入部。高校ではバスケット部に入ったが、強かった女子の相手ばかりさせられていた。大阪万博があった15歳までは強烈な意志は無くボーッとしていた印象がある。
現在は、日本社会を覆う官僚的、教科書的、標準的な「正解主義」「前例主義」「事なかれ主義」を仮想敵として「よのなか科」を武器に戦っている。
ビジネス研修講師のかたわら、「よのなか科」が手本となっているアクティブラーニングやマネジメントを教える「校長先生たちの校長」としての役割も担う。
3人の子の出産にすべて立会い、長女は自ら取り上げた貴重な経験を持つ。
母方は狩野芳崖を輩出した狩野派の一派である築地小田原町狩野の流れで、男子が祖父の代で途絶えたものの、自分は15代目だと勝手に信じている。「藤原和博のデザインワーク」にあるように、建築、腕時計、リュック、礼服・・・そして最新型のかき氷製造機の開発にまで関わってその血を証明しようとしているが、まだまだ花は咲かない(苦笑)。それでもオリジナル腕時計「arita」が世界初で文字盤に使った有田焼の白磁(赤ちゃんの白眼の色をしている)をついに世界の「SEIKO」が新製品に採用したのが嬉しい。