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なんのために学ぶのか

池上 彰:著者

「どうして勉強しなくちゃいけないの?」

永遠の問いに池上彰が真正面から答える

内容は、「学びで得た喜び」や「学びの本質」、「挫折からの学び」、「池上流勉強法」、「オススメ書籍」、「学びの正体」へと多岐にわたる。学びとは、つまるところ「人を知ること」であり、「自分を知ること」、ひいては「よりよく生きるための人間力」そのものであることに気づかされる。子どもから大人まで、すべての世代におすすめの1冊!

目次

はじめに これからを生きるあなたたちへ

1章 勉強が好きじゃなくてもいい
―おもしろいことが一つあればいい
●「明日、死ぬことがわかっていても勉強したい」
●高校生の時に知りたかった「対数は役に立つ!」
●一流の人ほど、、基礎的な知識を大事にしている
●科学者も注目する「セレンディピティ」とは?
●学びの楽しさはご縁から
●数学の勉強は必要?
●最貧国マラウイで「風をつかまえた」少年
●学ぶことに遅いということは絶対にない
●NHK退職後、54歳からの学び直し
●好奇心に突き動かされて北マケドニアへ
●教科書の中の人物がここに生きている!

2章 どうして勉強しなくちゃいけないの?
―学校で学ぶということ
●上から押しつけても勉強しない
●大学で学ぶとはどういうことか
●衝撃的だった大津市の保育園児死傷事故
●どうすれば事故を防ぐことができたのか?
●保育園はどうあるべきかという問題
●一つの出来事から問題意識を深め、広い視点を持つ
●改元で「令」の意味を誤解した海外メディア
●日本は1300年前から続く「言霊」の国
●国際化の時代だからこそ教養が試される
●忌み言葉も言霊信仰から
●言霊信仰のマイナス面が現れた福島原発事故
●ポジティブ思考で「プランBは?」と聞く
●高校までは「生徒」、大学に入ったら「学生」
●学生とは、自ら学ぶ生き方をする人間
●「すべてを疑え」と語っていたゼミの先生
●「主体的で深い学び」を模索する小・中・高校
●学校教育は「ゆとり」と「詰め込み」の繰り返し
●リベラルアーツとは何か
●ハーバード大学、ウェルズリー大学の視察で知ったこと
●MITは「すぐに役に立つことは教えない」
●スティーブ・ジョブズの生き方は「学び」の見本

3章 失敗・挫折から学ぶ
―こうして「池上彰」ができあがった
●なるべく早いうちに挫折を経験しておく
●自動車免許の学科試験に落ちた
●情報源を危険にさらし、自己嫌悪に陥る
●日銀松江支店長インタビュー始末記
●ロッキード事件で連日続けた真夏の張り込み
●地団駄を踏む思いをした「刎頸の友」
●「警視庁」がなぜか「錦糸町」に
●単独スクープを逃した世田谷連続放火事件
●富士山落石事故で「どうでしたか?」の赤面リポート
●空き時間を見つけて英会話と経済を勉強
●ダジャレが大受けした「ニュースセンター845」
●キャスター生活では「わかりやすく」と言い続けた
●「週刊こどもニュース」への人事は青天の霹靂
●NHKの廊下で、自分の人生設計ががらがらと崩れた
●「現場で取材したい!」組織を離れ、フリーの道へ
●「ニュースをやさしく解説すること」が武器になった
●社内こもらず、どんどん外に出て行こう
●どんなに忙しくても、本を読む時間は作れる
●「興味を持つ」ことが、勉強の「入り口」
●人に説明することで課題が明らかになる
●腐らず、落ち込まず、勉強を続けて今がある
●本が売れない寂しさを味わった
●質問力の不足を痛感させられた

4章 読書が好き
―よい本との出合いは人生の宝だ

『読書について』 ショウペンハウエル
●本を読めば読むほどバカになる!?
●自分を「他人の思想の運動場」にしてはいけない

『君たちはどう生きるか』吉野源三郎
●生き方について考えるきっかけに
●いじめられている友人を助けることができるか
●勇気とは何か
●辛くなったら本の世界に逃げればいい

『学問のすゝめ』福沢諭吉
●半ば義務感で読み始めた
●福沢諭吉の言う「学問」とは?

『永遠平和のために』カント
●高校生のときに挫折したカント
●民主政治と「自由な諸国家の連合」への期待

『民主主義』文部省
●民主主義のほんとうの意味とは
●言論の自由、メディアとの付き合い方

『人生を面白くする本物の教養』出口治明
●知識=教養ではない
●「広く、ある程度深い」を目指す

5章 生きることは学び続けること
―なぜ、私が学び続けるのか
●そもそも人間って、どういうものだろうか
●人間がわかっていないと、AIも役に立たない
●レーガン政権の教育改革は正しかったのか?
●教養があるとは、どういうことか
●日本は高等教育・大学教育を自国語で受けられる稀有な国
●日本は江戸時代には、すでに世界有数の文明国だった
●開発途上国での女子教育の重要性
●粉ミルクを水たまりの水で溶いて飲ませている現実
●学ぶとは、決して人に盗られることのない財産
●学校で学ぶということは、親からの遺産相続を受けている
●たとえ「就職のための学び」でも、教養を深める学びはある
●雇用システムは日本社会でどんな役割を果たしているか
●恵まれている国、日本で学びの楽しさを知るには?
●教養を身につけていくなかで得た喜び

定価:935円(本体850円+10%税)

書籍情報

  • 発売日:2020年3月6日(金)
  • ISBN:978-4-8156-0439-4
  • サイズ:新書
  • ページ数:232
  • 付録:-
学びとは、決して人から盗まれることのない財産です

私は、学校の勉強は、実はそれほど好きではありませんでした。私が「学ぶことって楽しいな」と思えるようになったのは、大学を卒業して社会に出てからです。一度学びの楽しさを味わってからは、やみつきになりました。知らないことや新しいことに出合うとかえって好奇心が刺激され、もっと多くのことを学びたくなります。好奇心が満たされれば、大きな喜びにひたることができます。

  • 一緒に「知の宇宙」に旅立とう

    日々勉強を重ね、知らないことを一つでも知ると、自分がそれまでそのことを知ら
    なかったことに気づきます。さらに、世界には、自分が知らないことが実にたくさん
    あることを知ります。知らないことは広大な宇宙ほどもある。知らないことがあまり
    に多いと、ときに絶望的な気持ちになりますが、少しでも知ることで、「知の宇宙」に
    乗り出して行くことができるような気持ちになります。
     さあ、ご一緒に宇宙に旅立とうではありませんか。

  • 学ぶことに遅いということは絶対にない

    学ぶことに遅いということは絶対にないと私は思うのです。
    私の父は88歳を過ぎてから急激に体力が衰えて寝たきりになりました。ある日、「岩波書店から『広辞苑』の新しい版が出た。買ってきてくれ」と言われました。寝たきりになっているのに、それでも『広辞苑』を読みたいというのです。これには圧倒される思いがしました。
     書店で買って手渡しますと、あの重たい『広辞苑』を枕元に置いて少しずつ読んでいくではありませんか。「ああ、最後の最後まで学ぶ楽しさを知っていたんだなあ」と私は感動を覚えました。
    父を思い出すたびに、私もこういう最期でありたいといつも思います。

  • 上から押しつけても勉強しない

    勉強というと、どうしても上から押しつけて無理矢理やらせるというイメージがつきまといます。「勉強」という漢字は「強いて勉める」ですから、「勉強しなさい」と言われると反発心が先に立って勉強したくなくなるのかもしれません。「学び」という言葉のほうがずっとスマートですが、どういうわけか「学びなさい」とはあまり言わないようですね。
     実際には勉強も学びも意味は同じです。どちらにせよ、やはり上から押しつけてやらせるのはよくないやり方です。子どもは何か一つ、「あっ、これはおもしろいな」と思えるものをうまく見つけることができたら、放っておいても自発的に勉強を始めます。

  • 情報源を危険にさらし、自己嫌悪に陥る

    私は松江警察署に戻ったとき、耳打ちしてくれた捜査員のいる刑事課の部屋に行き、「先ほどはありがとうございました」と周囲にも聞こえる声でお礼を言ったのです。
     自分としては、他の誰でもなく、この自分に情報をくれたことへの感謝のつもりだったのですが、これが大失敗でした。彼の署内での立場を悪くしてしまったのではないかと自己嫌悪でしばらく落ち込んでいました。

  • 本を読めば読むほどバカになる!?

    「読書は、他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない。(略)ほとんどまる一日を多読に費やす勤勉な人間は、しだいに自分でものを考える力を失って行く」(岩波文庫)
    これは衝撃的でした。本を読めば読むほどバカになると書いてあります。要するにそういうことですよね。自分でものを考えることができなくなる、と。「ああ、そうか」と思いました。ただひたすら本を読んでいればいいというものじゃないんだ、それでは自分の頭を「他人の思想の運動場」として貸しているだけなんだと気づかされたのです。

  • 教養を身につけていくなかで得た喜び

    私が教養としての学びを強調するのは、それが私自身の人生を豊かにしてくれたという実感があるからです。もちろん、学んだことが思わぬところで役に立ったという経験も数え切れないほどしてきました。
     たとえば、ある観光地に出かけてそれなりに楽しかったけれど、実はその先までもう少し足を延ばしていれば、知る人ぞ知る見どころがあってもっと楽しかったのに、それを知らずに帰ってきてしまったことがあります。非常に惜しいことをしました。
    そんなとき、『徒然草』の一節「少しのことにも先達はあらまほしきことなり」をふっと思い出すのです。これは「仁和寺にある法師」の末尾の一文ですね。何かにつけて、自分よりも物事をよく知っている人を頼りにしたほうが、世の中はもっと楽しくなるものだ、という感懐を述べたものです。あの時代からこういうことを考える人がいたんだなあとふっと懐かしくなります。

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著者紹介

著者・池上 彰

ジャーナリスト。1950年、長野県生まれ。慶應義塾大学卒業。NHKで記者やキャスターを歴任、94年より11年間『週刊こどもニュース』でお父さん役を務める。2005年より、フリージャーナリストとして多方面で活躍中。東京工業大学リベラルアーツセンター教授を経て、現在は名城大学教授、東京工業大学特命教授、東京大学客員教授など。著書に『おとなの教養――私たちはどこから来て、どこへ行くのか?』(NHK出版新書)、『伝える力』(PHPビジネス新書)、『わかりやすさの罠』(集英社新書)、『なんのために学ぶのか』(SB新書)など多数。

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