メディアの「選別」からメディアの「管理」へ。 菅総理誕生でジャーナリズムの危機がおとずれる⁉
官邸長官会見でのやりとりで「菅義偉官房長官の天敵」といわれた東京新聞記者の望月衣塑子氏。当時の現場の様子とは。
19年暮れには、番記者ですら必ずしも質問できない状態に
望月 19年11月に桜の疑惑が出て様子が変わってきました。というのは、12月ころから、朝日新聞や北海道新聞など菅さんの番記者たちの追及が厳しくなっていった。すると、以前は「次の質問、最後でお願いします」といって私以外の人を指すというやり方で私が質問できない場合が多かったんですが、同じやり方を番記者に対してもするようになったんです。私が質問できるとしたら番記者のあとと決まっていて、番記者や政治部記者優先は仕方
がない。ところが、その番記者でも打ち切られて質問できないことがしばしばとなって、私は全然質問できなくなった。
田原 ちょっと待って。ちょっとわかりにくいから、注釈を入れたい。官邸の記者会見を主催するのは内閣記者会で、官房長官は、これに呼ばれて出てくる。原則として1日に2回で、主催は内閣記者会。政府側主催だと、おまえたち聞きなさいという形になってしまうから、そうはなっていない。
ただ、内閣記者会が主催なのに、進行役は、首相官邸の報道室長が務めることになっている。望月さんの質問が回りくどいということで「簡潔に」と口をはさむのは進行役ね。
望月 そうです。「次の質問で最後に。公務がありますので」というのも進行役の上村さん(官邸報道室長・当時)でした。ただし、記者が挙手しているとき指して、質問者を指名するのは菅さんです。
田原 わかった。挙手して質問したい番記者が複数いるのに「次で最後」となるから、番記者でも質問できないケースが出てきた。ならば望月さんだけでなく、他社の社会部記者だって質問できない、と。
望月 19年12月24日だったかな。毎日新聞の政治部の番記者が質問しようとしたのに、打ち切られたことがあった。その記者は、自分は番記者なのになんで打ち切るんだ、おかしいじゃないかと、幹事のテレビ東京記者に会見後に猛抗議したらしい。それで翌日また打ち切りになったとき、幹事が「お忙しいのもわかるが、いま手を挙げている記者の質問は聞いてほしい」と発言して、毎日の記者が矢継ぎ早に4問、質問したことがありました。
20年1月15日にも、このときの幹事は朝日新聞の記者さんでしたが、次の質問で最後となったとき「公務でお忙しいのもわかるけど、こちらも重要な公務のはず。質問を受けてしっかりやってほしい」というように要望していました。午後4時始まりで待っていたら4時半から始めて10分くらいで終わらせるなんてこともあって、会見に官邸の記者たちが「ひどいよなあ」と、陰でぶつぶついっていた。
望月衣塑子の抗議に官房長官がブチ切れ。番記者とのオフ懇も休止に
田原 官房長官記者会見、その後は?
望月 そんなことが続いたので20年1月22日、挙手して「まだ質問あります」と声を上げました。前日も打ち切られちゃっていたから「昨日も聞けてないから、2問お願いします」といったら、菅さんが「いや、私が1問といってるんだから最後の1問」といった。
それで私は「この2年半、会見の最後まで指さない、複数の質問を受け付けないなど、非常に恣意的な質問制限を受けています。これに対しては強く抗議します」と発言してから、1問だけ質問しました。桜疑惑についてだったかな。すると、私の質問が終わったとたんに菅さんが……。
田原 官房長官がブチ切れたわけだ。
望月 翌日の新聞朝刊には、どこも「東京新聞記者が不当な扱いを受けていると官房長官に抗議」という記事が出た。短い記事でしたが。菅さんは、この記事が出たことにも、望月の不規則発言を許すからこんなことになるんだ、と激怒したそうなんです。かの菅さんは私が抗議したその日の夜から、番記者との夜のオフレコ懇談をやめてしまった。
田原 なんで? 望月さんのことで頭にきて、ほかの記者とのオフ懇をやめるのは筋が違うんじゃないの。番記者というのは何人いるの?
望月 コアなメンバーで12~13人というところですかね。新聞とテレビの記者で、会見でも前の席に座っています。オフ懇にその人数が出ているかどうかは知りませんけど。
菅さんからすると、オフ懇をしないことで番記者を通じて望月をもっと抑え込みたいという考えがあったと思います。私がいないときでも桜疑惑では番記者が数人で頑張って、「差し紙」と呼ばれる答弁用のメモを、菅さんが11回も報道室長から入れられた、なんてニュースが出たこともありました。
田原 「あの望月を何とかしろ」と、オフ懇をやらないことで番記者にメッセージを送ってる、ということか。