SBクリエイティブ

嫌われるジャーナリスト

望月衣塑子:著者 / 田原総一朗:著者

国民が知りたいことを
聞かないメディアは必要か!?

コロナ禍で露呈した権力とマスコミの馴れ合い。緊張感のないこの関係が、日本を停滞させる要因となっているのではないだろうか。ジャーナリストとは本来、波風を立てるもの。権力を監視し、対峙することで、国民の知る権利にこたえていくべきである。記者クラブに代表される従来のメディアのあり方がこのままでよいのか。新しい時代のジャーナリストに必要なこととは何か。嫌われることを厭わない二人が徹底討論。

第1章 「新型コロナ」と「安倍政権」という大難題
――〝嫌われるジャーナリスト〟は日本をこう見る

◎新型インフル特措法は、現行のままか、法改正が必要か
◎森友事件で検察が官僚全員を不起訴にした理由
◎安倍内閣の支持率が下がらないことの責任は、野党にある
◎ジャーナリズムは充分な働きをしているとはいえない
…etc.

第2章 だから「望月衣塑子」は嫌われる
――記者会見や記者クラブの憂うべき現状

◎望月衣塑子の抗議に官房長官がブチ切れ。番記者とのオフ懇も休止に
◎官邸側ではなく、内閣官房長官の番記者から、繰り返し抗議を受けた
◎質問五つは事前に提出。首相は官僚が書いた答えを読んだけだ
◎記者クラブを離れたからこそ、わかったこと
…etc.

第3章 だから「田原総一朗」は嫌われる!
――なぜ、批判するだけではダメだと思ったか

◎付き合いが深いとは、会って、いいたいことをいえることだ
◎新聞は記者の担当を比較的よく移す。テレビは担当を固定しがち
◎佐藤優は、田原総一朗を〝権力党員〟と評した
◎「政権批判だけでなくて、対案を出せ」と提案したが……
…etc.

第4章 嫌われるジャーナリストは、どこへ行く?
――メディアが大激変しても変わらないもの

◎ネット時代だからこそ、記者の考えや価値観を打ち出す必要がある
◎ジャーナリストは、市民の感性にいかに寄り添えるか
◎かつての記者の常識のままでは、メディアは人びとから見放されかねない
◎若い女性たちの意識を、もっと紙面に反映させたい
…etc.

定価:946円(本体860円+10%税)

書籍情報

  • 発売日:2020年9月5日(土)
  • ISBN:978-4-8156-0548-3
  • サイズ:新書
  • ページ数:224
  • 付録:-
メディアの「選別」からメディアの「管理」へ。 菅総理誕生でジャーナリズムの危機がおとずれる⁉

官邸長官会見でのやりとりで「菅義偉官房長官の天敵」といわれた東京新聞記者の望月衣塑子氏。当時の現場の様子とは。

19年暮れには、番記者ですら必ずしも質問できない状態に

望月 19年11月に桜の疑惑が出て様子が変わってきました。というのは、12月ころから、朝日新聞や北海道新聞など菅さんの番記者たちの追及が厳しくなっていった。すると、以前は「次の質問、最後でお願いします」といって私以外の人を指すというやり方で私が質問できない場合が多かったんですが、同じやり方を番記者に対してもするようになったんです。私が質問できるとしたら番記者のあとと決まっていて、番記者や政治部記者優先は仕方
がない。ところが、その番記者でも打ち切られて質問できないことがしばしばとなって、私は全然質問できなくなった。

田原 ちょっと待って。ちょっとわかりにくいから、注釈を入れたい。官邸の記者会見を主催するのは内閣記者会で、官房長官は、これに呼ばれて出てくる。原則として1日に2回で、主催は内閣記者会。政府側主催だと、おまえたち聞きなさいという形になってしまうから、そうはなっていない。
 ただ、内閣記者会が主催なのに、進行役は、首相官邸の報道室長が務めることになっている。望月さんの質問が回りくどいということで「簡潔に」と口をはさむのは進行役ね。

望月 そうです。「次の質問で最後に。公務がありますので」というのも進行役の上村さん(官邸報道室長・当時)でした。ただし、記者が挙手しているとき指して、質問者を指名するのは菅さんです。

田原 わかった。挙手して質問したい番記者が複数いるのに「次で最後」となるから、番記者でも質問できないケースが出てきた。ならば望月さんだけでなく、他社の社会部記者だって質問できない、と。

望月 19年12月24日だったかな。毎日新聞の政治部の番記者が質問しようとしたのに、打ち切られたことがあった。その記者は、自分は番記者なのになんで打ち切るんだ、おかしいじゃないかと、幹事のテレビ東京記者に会見後に猛抗議したらしい。それで翌日また打ち切りになったとき、幹事が「お忙しいのもわかるが、いま手を挙げている記者の質問は聞いてほしい」と発言して、毎日の記者が矢継ぎ早に4問、質問したことがありました。
 20年1月15日にも、このときの幹事は朝日新聞の記者さんでしたが、次の質問で最後となったとき「公務でお忙しいのもわかるけど、こちらも重要な公務のはず。質問を受けてしっかりやってほしい」というように要望していました。午後4時始まりで待っていたら4時半から始めて10分くらいで終わらせるなんてこともあって、会見に官邸の記者たちが「ひどいよなあ」と、陰でぶつぶついっていた。

望月衣塑子の抗議に官房長官がブチ切れ。番記者とのオフ懇も休止に

田原 官房長官記者会見、その後は?

望月 そんなことが続いたので20年1月22日、挙手して「まだ質問あります」と声を上げました。前日も打ち切られちゃっていたから「昨日も聞けてないから、2問お願いします」といったら、菅さんが「いや、私が1問といってるんだから最後の1問」といった。
 それで私は「この2年半、会見の最後まで指さない、複数の質問を受け付けないなど、非常に恣意的な質問制限を受けています。これに対しては強く抗議します」と発言してから、1問だけ質問しました。桜疑惑についてだったかな。すると、私の質問が終わったとたんに菅さんが……。

田原 官房長官がブチ切れたわけだ。

望月 翌日の新聞朝刊には、どこも「東京新聞記者が不当な扱いを受けていると官房長官に抗議」という記事が出た。短い記事でしたが。菅さんは、この記事が出たことにも、望月の不規則発言を許すからこんなことになるんだ、と激怒したそうなんです。かの菅さんは私が抗議したその日の夜から、番記者との夜のオフレコ懇談をやめてしまった。

田原 なんで? 望月さんのことで頭にきて、ほかの記者とのオフ懇をやめるのは筋が違うんじゃないの。番記者というのは何人いるの?

望月 コアなメンバーで12~13人というところですかね。新聞とテレビの記者で、会見でも前の席に座っています。オフ懇にその人数が出ているかどうかは知りませんけど。
 菅さんからすると、オフ懇をしないことで番記者を通じて望月をもっと抑え込みたいという考えがあったと思います。私がいないときでも桜疑惑では番記者が数人で頑張って、「差し紙」と呼ばれる答弁用のメモを、菅さんが11回も報道室長から入れられた、なんてニュースが出たこともありました。

田原 「あの望月を何とかしろ」と、オフ懇をやらないことで番記者にメッセージを送ってる、ということか。

著者紹介

著者・望月衣塑子

望月衣塑子(もちづき・いそこ) 1975年、東京都生まれ。新聞記者。慶應義塾大学法学部卒業後、東京中日新聞社に入社。千葉支局、横浜支局を経て社会部で東京地検特捜部を担当。その後経済部などを経て社会部遊軍となり、官房長官記者会見での鋭い追及など、政権中枢のあり方への問題意識を強める。著書『新聞記者』(KADOKAWA)は映画化され大ヒット。日本アカデミー賞の主要3部門を受賞するなど大きな話題となった。そのほか『武器輸出と日本企業』(KADOKAWA)、 佐高信との共著に『なぜ日本のジャーナリズムは崩壊したのか』(講談社)などがある。

著者・田原総一朗

田原総一朗(たはら・そういちろう) 1934年、滋賀県生まれ。ジャーナリスト。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所に入社。東京12チャンネル(現・テレビ東京)を経てフリー。「朝まで生テレビ! 」(テレビ朝日系)、「激論!クロスファイア」(BS朝日)の司会を務める。著書に、『塀の上を走れ 田原総一朗自伝』(講談社)、『日本人と天皇 昭和天皇までの二千年を追う』(中央公論新社)、『日本の戦争』(小学館)、『伝説の経営者100人の世界一短い成功哲学』(白秋社)ほか多数。

関連商品のご案内

もっと見る

試し読み新着お届け

もっと見る