発売日 2019年06月06日(木)

なぜ中国は日本に憧れ続けているのか

著者名:石 平(著者)

¥830(税別)

ISBN:
978-4-8156-0028-0
サイズ:
新書
ページ数:
224
付録・付属:
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著者紹介

著者・石 平

石平
評論家。1962年、中国四川省成都市生まれ。80年、北京大学哲学部に入学後、中国民主化運動に傾倒。84年、同大学を卒業後、四川大学講師を経て、88年に来日。95年、神戸大学大学院文化学研究科博士課程を修了し、民間研究機関に勤務。2002年より執筆活動に入り、07年に日本国籍を取得。14年『なぜ中国から離れると日本はうまくいくのか』(PHP新書)で第23回山本七平賞を受賞。

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  • 精神的日本人(精日)が生まれたが…

    5.0
    hij

    本書の題名には初め違和感を覚えた。そもそも中国は華夷思想の国であり、昔から周辺諸国を見下してきた。さらに江沢民、習近平らの人民共和国政権は徹底した反日洗脳教育、反日宣伝をおこなっている。中国人が日本を憎悪、嫌悪することはあっても日本に憧れ続けるわけがないと思っていた。著者によると、中国は始皇帝の昔から日本列島を三神山として憧れてきた歴史がある。中国の正史には倭に好意的な記述が多く、隋書に至っては「雅風あり」と絶賛した。日本からの唐土留学生はいずれも帰国したが、中国からの渡来人で帰国した者はいない。中国からの渡来人にとって日本は「安住の地」であり、憧れの理想郷であった。明治維新による日本の国づくりは中国人にとって最高の模範であった。日清戦争に敗れてショックを受けた中国人官僚は「日本に学ぼう」を合言葉として大量の留学生を日本に送り込んだ。蒋介石、周恩来など日本と戦ったのはいずれも日本留学生だった。日本は国づくりの大先輩であると同時に仇敵となった。毛沢東の死後、実権を握った鄧小平は改革開放路線を唱え日本の技術と資金の導入をはかった。政府の ODA が始まり、新日鉄、松下電器など大企業が中国に進出した。そして2回目の日本留学ブームが起こった。本書の著者も その留学生の一人だった。ところが1989年6月4日、天安門事件が発生、人民解放軍がデモ隊を武力鎮圧したことから、共産党の威信が失墜した。事件の直後に成立した江沢民政権は愛国主義精神高揚運動を始めるとともにメディアを総動員して反日洗脳教育をおこない、日本を憎むべき外敵に仕立て上げた。反日は政権にとっては諸刃の剣である。2005年に反日暴動が起こり、各地に飛び火した。胡錦涛政権は 社会的安定維持のため 反日教育に部分的修正を加えた。2008年四川省で大地震が起こったとき、日本の救助隊の奮闘と行動が 中国人に感銘を与え中国人の対日イメージを好転させた。その後中国人観光客が大挙して来日するようになり、日本に対する好印象を持ち帰り、ネットで発信するようになった。そして、日本人に同化しようとする中国人(精日)があらわれるようになった。来日すれば日本の良さがわかり帰国すれば中国社会との差がわかるのであるが、反日洗脳教育の申し子、偏執狂的反日が大多数であることに変わりはない。民族の復興を唱え新華夷秩序の建設を目指す習近平政権は、抗日戦争勃発記念日、抗日戦争勝利記念日、南京大虐殺犠牲者追悼日の三国家記念日を制定し、記念日には国家的記念行事を開催して日本叩きを恒例化した。日本を敵国として認定し、軍事的挑発と威嚇を繰り返しているのである。この現実から目をそらしてはならない。

  • 日本は中国人にとって憧れの理想郷である

    5.0
    waka

    中国では、日本の精神文化に憧れて日本に同化しようとする「精神的日本人」が、特に20代の若者に大勢いるという。そこまでいかなくても、多くの中国人は日本の伝統や文化に対して憧憬の念を抱いていると著者の石平氏は言う。新元号が発表された4月1日、中国のネット上には日本の新元号に対するコメントが殺到した。中国人がなぜ日本の新元号にそれほど高い関心を払ったのかというと、もともと中国の発明であった元号を、中国ではなく、日本だけが使っていることにあるのではないか。中国の伝統が本国で失われたことへの中国人の悔しさが読み取れると同時に、彼らの日本という国へ向けた羨望の眼差しも強く感じられる。今でも元号を使っている日本、1300年前からの伝統を現代生活に融合させている日本は、文化的喪失感の強い中国にとって、まさに羨ましくてたまらない存在なのである。中国人がこのような憧憬と嫉妬の交錯する眼差しを向けてくるのは、現代だけのことではない。古代以来の日中交渉史や日中間の文化交流史をよく調べてみると、中国人は自らの文明と文化を発達させ始めたときからすでに、日本列島の存在を強く意識し、それに対する憧れの念を抱いていたと、石氏は言う。3世紀末に編纂された「三国志」の「魏志倭人伝」の「倭人」に関する記述では、中華思想的目線から異民族の文明レベルの低さを強調するような記述もある一方、他の異民族についての記述には滅多に見られないような肯定的、好意的な記述もあちこちに見られる。7世紀、唐代の初期に編纂された「隋書」では、日本人のことを「人々の性質は素朴で正直であり、雅やかでさえある」と絶賛しているのである。古代から近代に至るまで、中国に渡った日本人は多くいるが、そのまま住みついたケースはあまり見当たらない。一方、日本の遣唐使派遣のはるか以前から、中国大陸出身者の日本への大量移住はすでに起こっていた。渡来人の大量移住は4世紀後半から7世紀までの話だが、時代が下って鎌倉時代から江戸時代にも、中国人の僧侶が断続的に日本に渡るという現象が起きた。更に日清戦争後、近代化を学ぶため、毎年多くの留学生が日本にやって来て、空前の日本留学ブームが起きた。そして1970年代末、鄧小平は日本から「技術」と「資金」を引っ張り出すため、「日中友好」を外交戦略の柱にして、日本との全面的友好関係の構築に努めた。日本は中国の近代化と経済成長を助け、日中間の人的交流、文化交流は盛んになり、中国近代史上2回目の日本留学ブームも起きた。1980年代、中国国民の対日感情はおおむね良好で、日本は中国にとって憧れの先進国だった。こうした状況が大きく変わったのは1990年代に入ってからで、契機は89年の天安門事件だった。このとき江沢民は、国民全体を対象とした「愛国主義精神高揚運動」を推進し、同時に「反日教育」を展開していった。学校教育、新聞・出版・映画・テレビなど、あらゆるメディアや媒体を総動員して、日本という国と日本民族を凶暴な「悪魔」に仕立て、日本に対する憎悪感情を煽り立てていったのである。そういった反日教育を受けた中国人の反日感情により、2005年春に中国全国で起きた大規模な暴動は、中国政府にとっても大打撃となり、中国政府は火消しに取り掛かった。それを契機に、江沢民以来の反日教育運動は下り坂に転じていかざるを得なくなった。2007年から2008年にかけて、胡錦涛政権は日中関係の改善に乗り出すとともに、国内の反日教育に対する部分的修正も行った。更に2008年5月に起きた中国四川省の大地震の際の、日本から派遣された緊急救援隊の行動が多くの中国人に衝撃と感動を与えて、彼らの対日観を一変させた。「悪しき日本人像」が崩壊したのである。そして2008年以来年々増加している中国人観光客が、中国人の対日観を良い方向に向かわせていった。ほとんどの中国人観光客は日本の旅に大いに満足して、大変な好感と好印象を中国に持ち帰り、その印象を親戚や友人知人に語ったので、これが良い宣伝になり、更なる観光客を呼ぶこととなった。こうした中、中国人の対日イメージがますます良くなり、あまりにも日本が好きで、「日本人に同化しようとする中国人」=「精神的日本人」が現れたのである。長年の反日教育の中で育ったはずの10代、20代の若者たちの一部が日本に同化しようとしているということは、反日教育の破綻を意味しているだろう。それと同時に、日本という国はいつまでも中国人にとって憧れの対象であることも意味している。観光客だけでなく、仕事やビジネス関係で日本にやって来た中国人、或いは何らかの機会で日本人と接触したことのある中国人は、ほぼ例外なく日本人の民度の高さに感心するとともに、心から敬服している。民度の高さとは「清潔さ」「礼儀正しさ」「モラルの高さ」「秩序の正しさ」「穏やかさ」などである。「日本で暮らす中国人が、日本にとどまる理由を告白」という2014年11月9日の記事を挙げてみる。<高校卒業後に来日する際、日本についてそれほど好感を抱いてはいなかった。当時中国国内のテレビや新聞、雑誌で目にしたのは、「周辺国との間で問題を起こすゴミ国家」と言った一方的な日本批判がほとんどで、自分も条件反射的に、日本を「悪の巣窟」と思い込んでいた。そんな自分だったが、日本のアニメの魅力には逆らえず、両親を説得して日本に留学した。日本暮らしも7年になり、多くのことを経験し、目にした。ネット上で自分の目にした日本の姿を伝えると、いつも言い争いになる。自分と同じように日本の良さをアピールする人について、中国国内のネット掲示板には「日本政府に雇われ、金をもらって投稿しているんだろ」などという人がいる。あまりに馬鹿げた発言だ。自分達が日本について理解していることは、日本の学校や日本政府から教え込まれたものではない。日々笑顔で挨拶を交わすご近所の人や同僚、必要もなくクラクションを鳴らしたりせず、歩行者を優先する日本のドライバー、教育熱心な先生方、親切な公務員、緑豊かな景色、料金をぼったくりしない観光地、良好な治安や日常生活。そうしたものを通じて得た日本や日本人に対する理解なのだから。自分は日本が好きだ。明日の中国が今日の日本のようになることを、心の奥底から願っている。>多くの心ある中国人にとって、日本は依然として、心安らかな安住の地であり、人生を託すべき理想郷なのであると、石氏は述べている。

  • 日本への「憧れ」と「反日」「精日」の二律背反の“情”に揺れ動く中国とは!?

    5.0
    SARAH

    1)第1章 2000年前から中国に憧れられる国、「日本」とは!?唐代の初期に、隋朝の歴史を記す正史の「隋書」の「倭国伝」に関して「人々の性質は素朴で素直であり、雅やかでさえある」という記述がある。「雅やかでさえある」の原文は「有雅風=雅風あり」であるが、中華文明の世界で「雅風あり」と最高の世辞で評価した。遣唐留学生だった吉備真備(きびのまきび)、山上憶良(やまのうえのおくら)、橘逸勢(たちばなのはやなり)にしても、留学僧であった空海にしても最澄にしても、帰国する道を選び、実際に日本に帰ってきた。その一方で、4世紀後半から7世紀後半までの数百年間、中国や朝鮮から日本に渡ってきた渡来人も多い。秦氏(はたうじ)や漢氏(あやうじ)の人々は、祖国の国へ帰るという容易な道を選ばず、言葉も生活習慣も違う異国への命がけの危険な航海をして日本に渡ってきた。また、奈良時代に渡来した鑑真和上を皮切りに中国高僧の来日は鎌倉時代には本格化した。幕府の執権職を世襲する北条一族の多くは禅宗に帰依した。江戸時代に至っては、黄檗宗(おうばくしゅう)の開祖となった隠元、水戸光圀(みつくに)の招きで師として丁重に迎えられた明王朝の遺臣の朱舜水(しゅしゅんしん)といったエリート知識人や高僧だけでなく、鎖国以前に多くの中国人が、主に長崎とその周辺に住み着き苗字も日本名に変えて、医者や商人、あるいは「唐通事」=「中国語通訳」となり、そのまま日本人となる者まで現れた。かつては、始皇帝とそれ以前の王たちは、そこに人を遣わして「不老不死の薬」を求めたし、徐福も始皇帝を騙してまで渡海し、数千人を率いて「三神山である日本」を求めた。「三国志」の「魏志倭人伝」の中でも、「人生七十古来稀なり」の価値観を持ち合わせる中国の人々にとって「寿命が長く、八、九十歳まで生きる」倭人はまさに羨望の的であった。古来より、地上の文明を越えた「神々の世界」であり、俗世を超越した仙人の棲家となっていた。古来より永く安住の地として、牧歌的でもあり桃源郷であったのである。2)第2章 中国人が模範にした明治日本とは!?日清戦争に勝利した日本、「東夷小国」と蔑んでいたはずの日本に対して「大清帝国」が負けたのは何故か!?清王朝の北洋艦隊といえば、質と量において日本海軍を大きく凌いでいた。当時の最先端の軍事技術で武装されていた。それでも負けた。何故か!? 今一度「中華思想」のプライドを捨て、今までの上目線を改めてみると、日本の「洋務運動」は「大清帝国」よりも徹底していた。つまり、日本は強い軍事技術の背後にある西洋文明全般を虚心坦懐に徹底して真似をして「文明開化」を成し遂げている、それが最大のポイントだったと気がつくのである。「師法東洋」を合言葉に「日本から西洋を学ぶ」という近道は、君主を倒すような革命ではなく、むしろ立憲君主制の下での近代化の成功経験は、君主を頂く清王朝の感心の的であった。3)第3章 中国はいかにして「反日国家」になったか!?日本に感心し、惚れ込む上世代の中国知識人や官僚同様、日本留学に来た中国人青年も、明治の日本に傾倒して感銘を受けている。日露戦争の際、多くの中国留学生は日本と一帯となった気持ちで日本の勝利を喜んだという。しかし、「日本と同じ」と思い込んだ彼らが、日本人自身がそうは思っていないことに気がつく、あるいは日本人が自分たちを仲間から外し、「劣等民族」にさげ蔑まされたと思ったとき、日本への愛着や憧れ、その一体感が、いとも簡単にねたみや怨念の類いに転じる。実際、屈託した対日感情を抱いたまま帰国し、留学中国人であった蒋介石や汪兆銘といった者が責任ある地位についた暁には、日中関係はむしろ悪い方向へと転じた。‘31年の満州事変、’37年の慮溝橋事件を契機に度々、日本軍と中国軍の衝突が生じた。こうなると、’30年から’45年の終戦まで、日本は中国にとって不倶戴天(ふぐたいてん)の敵国となり、「抗日」は、中国軍の合言葉となった。しかし、終戦後、まもなく中国では、共産党軍と国民政府軍との内戦が始まり、’49年には収束して、毛沢東が率いる中国共産党政権が誕生し、ソ連との同盟を結び共産陣営に入ってゆくと、日本は民主国家陣営に位置したことから、’50年、’60年の冷戦時代、中国と日本は無交渉の時代が続いた。殊に、’72年には田中角栄が訪中し、毛沢東、周恩来と会談し国交が回復したといっても、当時の中国は「文化大革命」の時代であり、共産党内でも激しい権力闘争が続いていたので、’78年あたりまでは日本との関係でいえば鎖国状態であった。しかし、’70年も後半にさしかかり、毛沢東が死去し、鄧小平(とうしょうへい)が実権を握るようになると、内戦からの中国経済の立て直しが急務となる。この頃、日本は鄧小平が喉から手がでるほど欲しい技術と資金を備えており、「領土問題」や「歴史問題」を棚上げし、’78年には「日中平和条約」の締結にこぎ着けた。鄧小平にとって中国近代化の大戦略を準備するための訪日は異例の8日間に及んだ。新日鉄、日産、松下の3社を見学し、「日本に教えを講願う」とともに中国経済の成長と近代化のための「不老長寿の薬」(不死ではない)を求めていたのである。’80年を通じて、経済大国、技術大国、文明大国としての日本は再び、中国人にとって憧れの国、現代文明の「三神山」として「対日感情」はおおむね良好であった。ところが、’89年に、大変化の契機となる「天安門事件」が起こる。百万人単位の学生や若手知識人が集結し、「政治の民主化」の波は政権側にとっては何として鎮圧すべき事変だったのである。共産党の威信、イデオロギー、国民の求心力の復権のため、「愛国主義精神高揚運動」=「反日教育」が展開されることとなった。新聞、出版、映画、テレビに至るまで総動員し、日本民族を凶暴な存在とまで仕立てあげ、国民に対する「刷り込み」には凄まじさを感じる。4)第4章 日本人との同化を望む「精神的日本人」の誕生とは!?2005年、’90年から続く反日教育の煽りが、日本の国連常任理事国入りの発言が反日運動の反発と相容れるところとなり、より”見える化”となった。日系スーパー「イトーヨーカ堂」の前に集まり「日本製品ボイコット」に始まり、翌日には日系スーパー「ジャスコ」の店看板や休憩コーナーのパラソルを壊し気勢を上げた。16日に「上海」で起きた反日デモの参加者は延べ2万人に及んだ。天安門以来、中国国内で起きた最大の群衆運動はこのまま放置すると事実上、無法地帯となり大混乱となる危険があった。外資系企業も国内大企業も関係なく金融センターに対する大打撃となる。このことから、逆に、中国政府は反日火消し活動に躍起となる。今度は、中国共産党宣伝部の指揮の下、日本大使経験者や研究者などの「知日派」を動員して「宣伝部」を組織し、全国の大学で報告会を開催するなど、キャンペーンを展開した。メディア、警察力を集結し沈静化にかかり、事態収拾に成功した。江沢民政権から始まった「反日教育運動」も完全に裏目に出て、諸刃の剣であったことが露呈した。’90年以来の反日路線に軌道修正を行い、多少のブレーキはかかった。学校教育の場や教科書の反日は旧態のままであるが、それでも2007年には温家宝総理が7年ぶりに訪日し、拉致問題の解決に協力するなど友好姿勢を打ち出している。さらに、2008年5月になると今度は、胡錦濤国家主席が10年ぶりに訪日し、早稲田大学にて「日中友好の旗印を子々孫々伝えていくべき」旨の講演を行っている。また、この5月、中国四川省での阪神大震災の30倍規模の巨大地震に対する日本からの救援隊の救助活動の奮闘ぶりは、多くの中国の国民に感動と感銘を与えている。さらに、この年を皮切りに訪日観光客も100万人未満であったが、円安効果や中国国内のバブル景気の後押しもあり、2017年には735万人に達している。インターネットの時代となった今、観光客が中国に持ち帰った好感や好印象の宣伝効果は、もはや本人の親戚や友人、同僚に限られるものでなくなっていた。あまりに日本が好きで「精神的日本人」(精日)と自称する中国人、ファッションからマナーに至るまで、日本の精神文化に傾倒し、自らのアイデンティティーを変えて日本人になろうとする者まで現れた。反日教育を受けているはずの10代、20代の若者に「精神的日本人」が誕生していることは、反日教育の破綻を意味している。5)第5章 中国は今、日本の何に憧れているのか!?数千年の歴史をもつ中華料理の伝統を持つ「美食の国」ではあるが、日本人の日常的な「食」である「弁当」は一種の芸術品として魅了を受けているし、日本の「ラーメン」は何より「麺」よりも「スープ」や「トッピング」にこだわるなど一度は試したい美食となっている。さらに、「食」や「アニメ」といった表面的に愛でるだけでなく、日本の山と海、四季折々の花たちと風物詩、名所旧跡や神社仏閣など、「桜」から日本人の生き方を感じ取る、より深いところの日本の精神文化に感心をよせている。日本の道路にはゴミが落ちていなかったり、列に並んで順番を待つ姿を見たりと、日本人の「民度の高さ」に心から憧れることとなった。6)第6章 習近平政権のアジア支配戦略と反日的体質とは!?2012年、日本政府が尖閣諸島の土地を購入して国有化すると、それに反発する中国政府が網抗議、双方の外交関係は悪化した。「反日」の煽動はかえって国内騒動を起こす轍を踏む危惧なのか、今度は、習近平は露骨な「日本無視」路線を取っている。だた、そうはいっても3つの記念日を制定している。7月7日の「抗日戦争勃発記念日」、9月3日「抗日戦争勝利記念日」12月13日「南京追悼日」など過去の戦争にまつわる記念日を設けた。また、ベトナム、フィリピンなどのアジア諸国の反抗に手を焼いており、日本の「歴史問題」を解決策に用いている。2013年には、東シナ海の公海上、中国海軍の艦船が、射撃する際に使うレーダー照射を会場自衛隊の護衛艦に向けて照射している。中国軍の度が過ぎる威嚇は、レーダー照射など韓国の最近の威嚇の模倣ともなっている。領海侵犯も度々ではある。習近平政権は、日本を孤立させ、排除すべき「準敵国」という位置付けに据え、中国帝国の「華夷秩序」を本軸として、世界の国々を巻き込み「中国製造2025」(=経済)、「一帯一路の推進」(=地政学)「南シナ海軍事支配戦略」(=軍事、資源確保)を目指している。アジアの支配戦略は「覇権国」としての優位を固めている一方、反日体質は”したたかさ”に推し進めているのである。7)改元を迎えた日本に、日本以上に熱を上げる中国とは!?日本の改元と新年号は、別に現在の日中関係や中国の国内問題に何らかの影響を及ぼすものではない。では、何故に、日本の新元号にこれほどの関心を払い、熱を上げたのか。ネットでは、令和の出典となる史書の言葉を捏造して日本の新元号をおとしめる輩は当然のごとくいるが、中には、「元号」の伝統が”本家”である中国で失われた”悔しさ”をにじませる者もいた。今でも1300年前からの伝統を現代生活に融合させている日本は、文化的喪失感の強い中国にとって、まさに羨ましくてたまらない存在なのである。数千年前から日本を「三神山」として憧れてきた中国人にとって、日本という国は永遠に、憧れの理想郷なのである。読み終えてみると、石氏の中国人目線の日本に対する分析は“的”を得ていて、“トピック”を交えながら、充分な“読み応え”と“読みやすさ”を提供するものだったと実感した。

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  • おくてつ

    中国から帰化し、中国の現体制に批判的な論調な評論家の石平さん。「精日」も話題だけど、それを歴史から紐解いてくれるのかなと手にした一冊。 でしたが、前半は中国の歴史書の中で、いかに日本を憧れの対象として書かれてきたか。後半は政治的意図でいかに反日の誘導がされたか。そして、その裏で日本の良さをどう見出されているか。 「なぜ」はあまりなく、事実の羅列だけのようにも感じました。 ただ、交流の歴史を知るということではためになりました。 続きを読む

  • Masataka Sakai

    好きな子をいじめる心理なのか? 民間の交流とSNSで化けの皮が剥がれると言う今の事実なのですね 続きを読む

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